おはようございます。
今日は150年以上経った今でも明治維新立役者として語り継がれる「吉田松陰先生」についてあくまで私見の拙い御話をさせて戴きます。
政治家、教育、経営者、リーダーシップに至るまで、今でも多くの影響力を与え続ける歴史上屈指の人づくり偉人。
その生き様が伝え続けている事、現代に枯渇しつつある「目に見えないチカラ」とは何なのかを、少しでもお伝え出来たらと..
私は公私いろんな壁や困難が重なり、もうダメだと追い込まれた時に、「至誠」という先生の言葉に度々救われて来ました。
現在、九州のまちづくりに関わる仕事の原点は、その教えを念頭に地域将来を築き合う共創人の必要性公私を通じて伝え、人づくりに関わりたいと考え、今出来る行動を続けております。
「明治維新」
人によって捉え方はそれぞれで、
志や勇ましさ、国を憂い弱者を救う命懸けの有志若者たち、数々の武勇伝etc、「ヒーロー像と行動力」について、メディアや書籍を始め様々なカタチで描かれています。
確かに不透明時代でヒーロー枯渇の現世に、
興味共感を得るにはその表現が求められるのかもしれませんが、
私にとって明治維新とは、志半ばに果てていった生まれ薩摩の「西郷と大久保の哀しき物語」同様、無念と哀しみが伝わって来ます。
松陰先生も恐らく多くの無念や哀しみを抱えながら「民の幸せと将来を憂い」29歳で人生の幕を閉じられています。明治維新真の立役者であるパイオニアたちは、志半ばにして絶えた御方が殆ど。
その志士たちの遺志を継いだ方々が、国の要職や総理大臣に就きました。
その後は対立やクーデターが繰り返され来た激動の時代です。現代でもある意味変わっていないのですが..
年一回、
数々の人生鼓舞と困難から前に導いて戴いた御礼に、松陰先生生誕の丘へお墓参りに伺います。ゆっくり萩市内の足跡を観て回るのが至福の時間です。
お墓がある丘の上に、立派な松陰先生銅像があり、その右手横に静かな佇まいの生誕地広場があります。ここで毎回数時間、その年の出来事を振り返り、松陰先生が生きていたらどのように導くのだろうかと、瞑想や対話をします。
沢山エネルギーや𠮟咤激励を戴いた後に、
萩の街へ降りて行きます。
ここは松陰神社の裏手にある「松下村塾」の原点。玉木文之進(松陰先生叔父)が立ち上げてた当時、松陰先生は門下生。
なんとその後先生は身分の垣根のない松下村塾とは真逆のエリート塾、萩の「明倫館」で兵法教えられていました^^天才少年!!
かの高杉晋作さんもエリート明倫館から、松陰先生率いる松下村塾に鞍替えした御方、凄いドラマ..
そして叔父を引き継いだ吉田松陰先生による、後の日本教育に多くの影響を与える私塾「松下村塾」物語が始まります。先生が指導したたった2年余りで、多数の歴史的偉人や総理大臣を輩出し、維新150年を経た今も人々の思想や教育に影響を与え続ける、山口の萩で息吹いた小さな私塾です。
その遺志を引き継いだ先人偉人は、ご存じの通り枚挙にいとまがありません。
身分を問わず平等な教育
老若男女への慈しみや支え合い
守る事への挑む心
人間力や在り方の原点とは、ここにるような気がしてなりません。
私はヒーロー像云々より寧ろ、萩の八畳一間から生まれた小さな「家族観」が、他藩や国中を巻き込む大きなムーブメントになっていった「エネルギーの原点」に、とても感化されてきました。
現代が盲目になってしまっている「見えないチカラ」とは、
吉田松陰先生が遺され伝え続ける、「至誠」数々にそのルーツが隠れている気がします。
先生の生き様は、地域創生やまちづくりにも、多くのヒントと気づきで溢れていて、進むべき道を示してくれています。
今後も「現代版吉田松陰先生の遺志」を、
実体験交えてお話出来たらと思います。
今日もお読み戴きありがとうございました!!
”至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり” 吉田松陰先生の代表訓