時代の波に流される現代人、社会課題に挑むべき新たな視点とは
「地域創生と課題解決」という国が掲げた漠然とした衰退支援策に携わり早10年強。メディアプロデューサーやプランナーという生涯生業や、膨大な人間取材交流を通じて得た独自のストーリーを、ある人物からの総括寄稿や登壇依頼があり、浅学菲才の身ですが、回顧や懐古の情を籠めて述懐してみました。
いろんな分野で葛藤や挑戦される心良き皆さんや守り戦う仲間たちに、生の実体験談を楽しみながら、何かのヒントに感じて頂けたら幸いです!!
Written by Bizしゃちょの丸裸波瀾万丈伝
現代社会を生き抜くためのカウンセリング、コーチング、ブランディング、マーケティング、プロデュースといった様々な手法は、今、根本から見直されるべき時期に来ている気がします。それらの本質的なニーズは、単なるスキルの提供や一時的なソリューションにとどまらず、もっと深いレベルでの「人間の本質」に触れることが求められています。
今、私たちが直面しているのは、単なる保身やうわべの疑心暗鬼や駆け引きではなく、根本的な不安や迷いです。この状況を打開するためには、技術やスキルを超えた生き抜く教養やリベラルアーツ等の、感性喚起に今こそ目を向けるべきではないでしょうか。生涯創り手裏方人間たちが施している、現代社会では優先順位の低い「喜び熱量演出法」をお伝えしていきたいと思います。
スキルと教養の違い—本当に必要なものとは?
カウンセリングやコーチングの世界では、しばしば専門的なスキルが重視されます。しかし、スキルを教える専門家と、人生そのものをナビゲートする脚本家の間には、大きな違いがあります。専門家は実体験を活かして個に寄り添うアレンジや自立心を深める事より、偏った傾向分析と権利体系化されたスキルを、より提供したがりますが、それだけでは現代社会の複雑な問題に対処しきれません。
本質的な教養とは、知識を超えた「生き抜く力」。それは、歴史、文化、哲学、心理学、芸術など、ビジネスとは直接関係のない分野からも培われます。これらは、日常のスキルや短期的な成果ではなく、長期的に豊かな人間関係やコミュニティを築くために欠かせないものです。
体系化された教育 vs リスキリング—今、何を優先したら良いのか?
昨今リスキリングという言葉がよく耳に入りますが、ここで私たちが考えなければならないのは、体系化された教育とリスキリングの違いです。リスキリングは、短期的なスキルアップやキャリアチェンジを実現する先端教育ですが、これだけは本質的な解決にはつながらないので、その先に向けた現代人再教育とのバランスが求められています。その事に気がつき調査分析に長けた希少な人たちが、新たなナレッジモデルを開発しつつあります。
現代社会が抱える問題の多くは、体系化された教育の不足によるものではなく、むしろスキル習得に偏りすぎた結果としての感性の退化に起因しています。否定とバイアスに囚われた社会では、創造性や感性が失われ、個々の人が自分の価値を見出すのが困難になります。この流れを断ち切るには、スキルだけではなく、情緒や感性を喚起する共生文化度を高めることが急務です。
人間社会とAIの融合—未来共存のシナリオ
技術の進歩と共に、AIやDX(デジタルトランスフォーメーション)が私たちの生活に深く入り込んでいます。しかし、人間社会とAIの融合がどのように進むかは、未だ不透明な部分も多いです。未来の共存は、単に効率や生産性を追求するだけではなく、脳の殆どを戦後教育で閉ざされてきてしまった、元々備わっている日本人DNAや人間らしさ感性を、再開花させることが重要となります。
今後、AIとの共存を進める上で、衰退するものと優先すべきことを見極める必要があります。それは、単なる技術的な進歩ではなく、人間関係やコミュニティの再構築です。
スタートアップに象徴される「誰でも出来る」は挑戦間口や機会が広がっただけの話で、「誰"に"でも出来る」では決して無く、寧ろ勢いだけでは通用しない、人間性や専門性を身にまとい「知財✖️カケル」を生み出す知恵や生き抜く行動力を持った、希少な若きパイオニアとの二極化が始まっています。
小手先の誘導に長けた、安易なお金稼ぎバズり人たちは、似たのもの同士の流行奪い合い自浄作用により、更なる能力淘汰されていくのが現実かと思います。同様に地下に潜らせる釣りも蔓延していくと思います、それも需給の法則で。
人間にしかない使命は、AIやSNS等の表面的な利便性に依存するだけでなく、生き抜く知恵と共存の役割分担を、新しい社会モデルへ創り出していくことを試されています。
不安の時代に必要な気づき—もう「当たり前」は存在しない
現代は、当たり前だと思っていたことが当たり前ではないことに気づく時代です。世の中に蔓延するモヤモヤや不安は、誰もが感じているものですが、それにどう応えるべきか多くのコンサルタントや専門家たちが、確固たる地位や継続性を確立出来ず迷走しています。既存のビジネスモデルは崩壊し、世代間の乖離がますます深まる中、私たちは何を優先し、どうやって社会の中で「本質的な繋がり」を見出していけば良いのでしょうか?
地域社会活性—文化度を高める新しい経済圏を創る
地域社会の活性化は、ビジネスに直接関係のない要素から始まることが多いです。歴史、風土、心理学、芸術、文学、体感といった成否実体験に基づく行動が、その地域に独自の価値をもたらします。これこそが、質の高い行動とアウトプットを生み出し、コミュニティ全体の文化度や人間六次化を高める要素です。
さらに、その地域ならではのナレッジや知財を組み合わせることで、人々の意欲や熱量が循環し、新たな商流や経済圏が生まれるきっかけになります。これは単なるビジネスモデルではなく、共感度の高いミニマムなコミュニティの創出に繋がります。小さくても強い絆で結ばれたコミュニティが持続可能な価値を生み出し、地域の衰退を防ぐ活きた知恵が育まれて行きます。そのベースやプラットフォームは既に出来上がってきています。
ご縁と人脈の普遍的な本質—繋がりの価値と共創力の衰退
現代において、人脈やご縁はますます重要視される一方で、その本質が見失われることが多くなっています。本来のご縁とは、相手と深く信頼し合い、真の絆を築くことで生まれる持続的で意味のある関係です。しかし、現代社会では「多勢帰属」や「メリット重視の繋がり依存」が広がり、人間関係がより表面的で脆弱なものになっています。
多くの人が、数を集めることや一時的な利益を得るためだけに人脈を築こうとします。SNS上でフォロワーを増やすことや、名刺交換会で名刺を集めることに重きを置きがちです。しかし、これらの繋がりは一時的なものであり、本質的な価値を持つ関係にはまず発展しません。こうした「数の繋がり」や「メリット依存の人間関係」が広がると、結果として調和や共創力が衰退し、社会全体で軋轢が生まれやすくなります。
先人から学んできた事や恩恵への感謝を籠めて、釈迦に説法かもしれませんが、本来のご縁とは、互いに支え合い、成長し合える大切な関係。そこには利害を超えた相互理解や信頼が必要です。メリットだけを求める浅い繋がりでは、真の協力関係は築けず、老若男女で時代を築き生き抜く知恵を継承していく、「共創力」が発揮されることもありません。
現代社会において、私たちは再びこの普遍的な人脈の本質を見直すべき時に来ています。人間関係はただ数を増やすだけでは意味がなく、深く信頼し合い、身近で支え合える少数の関係が社会的価値を生む源泉となるのです。ご縁を大切にし、長期的に人と共に歩むことで、調和の取れたコミュニティが再び力を取り戻し、共創の力が蘇るでしょう。
数多の会や交流で得た実体験と共通点—人間性と在り方が左右する「会」の存在価値
現代社会では、さまざまな交流会やネットワークイベントが開催され、その数も多岐にわたります。しかし、その会の在り方や存在価値は、主宰者や主体者の人間性、そして人の集め方によって大きく異なります。産学官民の垣根を超えて完全なる二極化が進んでいます。
よく言われる「類は友を呼ぶ」「似た者同士が集う」ということわざは、まさにエコーチェンバー現象のリアル版です。会に集まる人々が、何を求め、どこに共感を見出しているかによって、その会の成長や発展の可能性が決まります。多くの会に参加して得た実体験から感じるのは、そこにいる人々が「何に共感し、どのような価値を感じているのか」が、その会の本質を浮き彫りにするということです。
つい先日伺った、人物媒体を手掛ける編集人さんが主宰される周年懇親会は、取材を受けた素晴らしい取組をされる方々だけが集う会で、学びが多く心から嬉しい会の象徴でした。
そのような喜びや繋がり価値そのものを高める目的なく、人を集める方法が、ただの「メリット至上主義」なのであれば、場は一時的に盛り上がるとしても、長続きせず、最終的には浅い関係性が残るだけです。
しかし、主宰者が本心から成長や拠り所を提供しようとする意図を持っている場合、その会には自然と本気度や専門性への結束が高まり、そこに集う人々も本質的な繋がりを求めるようになります。こうした違いは、肌感覚で分かるものです。
これは、時代の過渡期を象徴する現象でもあります。多くの人が、表面的な仕組みや効率性に依存し、その背景にある本質を見失いがちです。特に、地頭に長けた人間たちは、時にさらなる誘導へと導かれ、自分たちが操作されていることに気づかないこともあります。そうした集団に属することで、結果として自己成長や本質的な繋がりの追求を諦めてしまうことが多々起こっています。
しかし、時流に左右されず、次世代を築く「裏表のない、圧倒的な器」と「絶対的な熱量」を持った人間は、むしろ社会の慣習や多勢に無勢にとらわれていない、Z世代に象徴される生粋の若者たちから生まれ始めているようです。
この新世代のパイオニアたちは、曖昧な馴れ合いによる既存のルールや価値観に縛られず、自分たちの目指す未来を力強く切り開いています。
私たちは、これからこの新世紀リーダーたちをバックアップし、彼らが持つ独自の視点と情熱を支えるための場を創り上げていく事が、共存する術となりそうです。いつまでも「オレが私がの自己実現」や虚勢や延命のガラパゴス社会とオサラバし、創造無き官民組織に見切りをつけ、新たなIQEQをひっさげ立ち上がった彼ら、勇気ある若き担い手たちこそが、社会衰退を革命へと導く最後の砦となる筈です。
現代社会ルールでは気づけない、新しい知財が循環するコミュニティモデルを築き、未来へ繋がる革新的な繋がりを創り上げることこそ、身近で既に立ち上がっている担い手たちとの次なる挑戦と共創です。
アーティストから地域社会再生を
総論:今、私たちが共に育む未来
現代社会における最大の課題は、本質的な繋がりと感性を取り戻すことです。人間関係がますますデジタル化し、効率性が優先される中で、私たちはどこかで大切なものを見失っています。それは、人と人が共に感じ、共に成長し合うこと。
今、私たちが優先すべきことは、単なるスキルの取得ではなく、感性を豊かにし、共に育む場を創り出すことです。そして、その場が地域社会に根ざしたものであれば、さらに強固なコミュニティが形成され、持続可能な社会が築かれると思います。
現代人が疑心暗鬼から解放され、再び共に成長し合える社会を創り出すために、今こそ新しい挑戦を、身近な人たちと育み始める時が来た気がします。
「人間同士が生み出す知恵と体感の創造に勝る感動や幸せなどどこにも無い!」
10年以上の沢山の学びを得た地域活性実体験を経て得た宝は、この言葉です。
自分ひとりで出来る事などごく僅かなのですが、師匠や大勢の社会活動家から教わって来た「日常の小さな喜びEDUCE」を、身近な変革者と生涯続けて行きたいです。
今日もお読みいただく時間を割いていただきありがとうございました。
❦ 溢れる九州愛と創り手情熱をこめて
東西創り手本気人たちの小さな革命