アウトロ人生オヤジの田舎奮闘記🍁

田舎生活の幸せ。地域興し

SDGsって何なん??

ご無沙汰しております!!

 

長い間、公私心身一杯一杯期間を経て、

ようやく少し落ち着いたので、はてなを開けました。

 

仕事では新たな社会啓発誌を手掛ける事になり、

 

CHIKUGOGAWA.Biz2022秋号~SDGsの本質特集

 

企画や取材やらで馬車馬行脚の日々、、

 

このテーマは、

国や企業、生産者や住民、

それぞれ捉え方が異なる。

 

有名なのはグローバルで掲げられた、

「17のGOAL」に向けた企業宣言や主な取組について。

 

今いる九州は一部の都心を除いて、

大自然が広がり資源や食の恵みに溢れている。

本腰入れれば自給自足も出来なくも無い。。

長い目で人生を送る価値を見出せるかどうかが、

東京経営者生活を捨て移住して来た理由だ。

都落ちだなんだ散々揶揄されてきたが、

そんなんどーでも良い。

 

血や本能が心地良いか

新たな価値を生み出せるのか

創造的な気質や風土はあるのか

 

感覚が変なのかもしれないが、

その3つが満たされていれば、

 

困難は多くとも続けていけるし。

挫折してもまた這い上がれる。。

新たな環境で生きるとはそういう事だし。

 

地域創生プロジェクトの仲間たち

さて、SDGsの話に戻るが、

企業的な達成目標はさておき、

地域社会がどうやって成り立っているのかの、

包括視点がとても重要だ。

 

幾ら点の目標を達成ししたところで、

 

環境保護(海山川土)

持続可能な自立自治

産業や暮らしの共存

多様性と共生の在り方

知や学びの老若男女共有

官企民の三位一体共助循環

社会地域貢献活動への支援

 

といった俯瞰バランスを整えていかねば、

「持続可能な社会」などいつまで経っても実現しない。

 

国が自国資産の切り売りと成長戦略のみを重視するのであれば、

そんなん奪い合いと資源枯渇は更に助長されていくだけで、

技術や対処法依存から更なる人間分断と制御が加速する。

 

それは歴史や先人からの教訓を全く無視しているし、

堂々と日本の良いヒトコトモノを護ると宣言出来ない、

今の政治は一体どこを目指し舵取りしていくのかも意味不明。。

 

少子高齢化だ人口減少だを、

マスコミ使って危機煽動する前に

 

寧ろ今だからこそ、

「緩やかな衰退を受入れ人間主体の成熟社会を目指す」

「成熟社会に貢献する人的資産や知的財産へ積極投資していく」

「自給自足含めた国民生活の将来安堵を生み出して行く」

 

といった宣言は出来無いのだろうか?

海山話よりよっぽど現実的な気もするが、、

 

今回誌面では、地元著名企業のトップや100年企業を目指す叩き上げ社長、

家族経営と事業承継を実践する親子等、

九州ならではの続けて来たSDGsの本音を伺った。

 

九州財界や地産業を牽引して来た皆さんは、

地域に寄り添い利他を尽くして来た、

続けて来た生き様そのものがSDGsマインドでもある。

例え良い事であろうと自分に利益が無かろうと、

旗振り先頭に立つと叩かれ揶揄される。。

それもトップの宿命でもあるから。

 

SDGs対談模様

失われた30年で過去世界で席巻した日本企業やブランドが失墜していったのは、

時代変遷による商慣習が変化し、繊細な日本人気質とものづくりイズムが退化してしまった事が大きい。予測不可能な新たな恐怖によって更にニューノーマルが加速している。

 

その根幹に何があるのかは別の機会で書くつもりだし、

評論ばかりの総論ばかりで各論が進まない、囚われモヤモヤした現代社会の実態でもある。

 

その原点に地域創生や持続可能な暮らしに多くのヒントがあると思っている。

 

県外や海外の知人に"九州はいいよね"と言われる事がよくある。灯台下暗しって言うけど、その地にいる日常がどれだけ恵まれているのかを、気づけない事が多い。よくインバウンドである話だけど地元民からしたら"何故そこ⁇"って不思議に思う事がある筈。その位、感性や欲求や文化はそれぞれ異なるのが多様性だし。

 

メディアが既得権益だった時代からSNSが生まれ、個人が無料で世界に発信出来るようになった事自体は、良い事だと思う。裏の目的はさておき、

 

曖昧で不特定な繋がりや誹謗中傷等、今まで無かったバーチャルな暴力が絶えない事も確かだ。YouTubeは素晴らしいコンテンツも沢山あるが、中身の薄い自己都合知名度と一過性のバズりだけで誘導していくユーチューバーに、果たして若者子どもは期待を抱けているのだろうか、、見せ方と誘導主流の現代マーケティングも如何なモノなのだろう

 

メディア発信は他人に影響し責任が発生するという最低限のモラルすら無くなり、コンプライアンス以前に公共メディアですら国民不信の象徴に落ちぶれてしまった、それも哀しい限り。

子どもから大人に至るまで人同士がイジメ足を引っ張り合い、そんなんで幸せなのだろうか⁈怖いな正義感や同調は..

 

踏まえて明るい将来へは、

「 自ら見極める目と的確な選択をし知力を高め生業を継続していくコト 」

なのかもしれないのけど、

 

それには学び体感して得て行く環境や、

喜ぶ機会があまりに少なすぎる。

 

無関心や自己責任重視で知識や情報の世代間格差も縮まらない。

政治への興味や選挙投票率はここに起因しているし、世の中の主流や期待は、人よりバーチャルへシフトしている。

 

もっと身近で老若男女が、

安堵を育み合う機会を増やしていかねば。

 

大好きなアスリートや文化人たちは、

よほど老若男女の希望や拠り所を、

体現し具現化しているし

 

「コミュニティ自立と共助循環」

が今後議論の主軸になって行くのかもなー

Bizしゃちょ