小職は九州でまちづくり会社をやっていて、7年前までは、東京でとある会社の経営をしていた。
30代まではサラリーマンだったけど、営業では無くメディアや広告の企画や制作のプロデューサーやディレクター。一応部下のマネジメントも、人の管理と言うよりはプロジェクトをまとめる方が多くかったかな、、
偉くなりたいとか、社長になりたいとか、金持ちになりたいとか、そんなん殆ど考えもせずある日社長になっちゃった感じ..
元々ゼロイチで考えカタチにする事や熱量あるアウトプットで、社内外の人たちに喜んで貰えたら嬉しかったし、それを実現するクリエーターたちにも恵まれていた。
振り返ると、、
オレは社長の能力は無かったんだと思う。
今でもそーだけど "しゃっちょー" レベルかな.笑笑
創る事が好きだし、楽しく心に良いクオリティのヒトコトモノを手掛けたいが、生きるモットーだしね^ ^
想いや個性を蔑ろに、評価だ効率だメリットだ、そんな人を御するような組織スタンダードが、次第に窮屈になっていった..社長はそれじゃダメなんだけど、
一番悩み葛藤したのは、
創造思考とチーム力醸成
社員面談と給与や賞与の決定
真面目に頑張る社員を守らないとだから、時にはそうでない人には、理由や思いを聞き諭したりたまに怒ったりもする。正論なんか意味ない、何故この会社を選び働くのかの掘り下げ。
全く会話にならない事も多々。
長く社員と管理職との信頼関係が築けていないと、前提に不信感があるからコミュニケーションが深められない。スポーツ大好きな小生の、マインドセットやチーム論も小手先ではほぼ通用せず。。
最初は、大手広告代理店グループで修行をした経験を活かし企業再建に向け、オレが新たな社風やイズムを変えてやる‼︎と1人息巻いて挑んだが、グループの雇われ中途社長なんか引き受けるんじゃ無かったと思った瞬間だった。。
そもそも、
グループ各社で社員数もソコソコ多い、ホールディングス体裁を取っていたが、その役員間のコミュニケーションも信頼関係も希薄。社員理解に乏しい権力者たちが、アレコレ評価し誹謗中傷し合う。
オレには"バイオハザードゾンビ"と企業ブランド衰退がフラッシュバックした。定例役員会なんかでも頑張る社員や取組を協議したり、クライアントのTOPIXを共有してシナジーを考える、なんて議題は乏しく、数字の報告とおきまりの思いつき新ビジネスと、誰が責任取るのか.. まるで国会の押し問答的な、、
そこに実現熱量や専門性、会社イズムや社員を育んでいく機運など皆無。小学生思考の小生にはいよいよシンドくなって来た。。
そんな日々から海外のイベントプロデュース、地方のクライアントの仕事が増えて、殆ど出張と夜の🍺社内外交流の日々が中心になり、ダメ社長は見放されグループから去る事になった。
個性とゼロからを育む
我欲より調和
企業イズムを創り出す
想いをカタチに
これは成長前提資本主義やシェア争奪、手段効率優先の現代的には通用しない昭和亡霊的な思考らしく、組織に最も叩かれたポイント。至らない代表を経験した小職の痛感思い出。
居場所を見出せなかったし..なんべん干された事やら、、会社乗っ取ろうとか権力得たいとか微塵も考えて無かったのだけど、トホホ、もう過去の話だけど
"トップの想いと采配で組織は如何様にもなる"
を、経営経験知見の乏しい専門職畑出の若輩小僧では、実現出来なかった。。深い人生経験の糧や人間力に欠け、本当に情け無い思いをした
そんな想いから、
生まれ九州で経験知見を活かしたいと思い、完全移住しイチから出直した。個室付東京社長が提灯💡の四畳半アパートで再出発、年収は1/10。貯金は新会社設立と事業開発で半年で尽きた..
でも失ったコトは多かったけど、それを乗り越える新たな価値を見つけた^ ^ 溢れる自然と美味しい食、まちづくりの仕事と仲間だ。ちなみにこっちの生活経費は東京の1/3くらい、移動やタクシーは少額だし基本自家用車移動なので、🍻や経費はかなり減った。
今では交通量過多の東京では考えもしなかった、バイクライフもとても心身リラックス出来る超オススメポイント^ ^
すっかり癒されまくってます^ ^
そんな経験から地方移住のポイントは、
・人生を充実させる機運がそこにあるか
・自分や家族や身近に喜びを見出せるか
・食べて行ける術や専門性を持っているか
・見知らぬ環境や生み出す苦労を楽しめるか
・お金を超えた価値を見出せるか
・公私充分な準備万端を整えられるか
といった"何のために"を掘り下げないと、後悔する。ホントシンドいよー📣
成長しているエリア、安全、生活物価、環境、自治体サポート等、外的要因も確かに判断材料ではあるけど、己を固めてからで無いとまず失敗する。都落ち的に来てしまった小生は、本当に生活基盤を創るのに大変だった。公私自暴自棄にもなったし、、今はやっと何とか暮らせるようになった、目まぐるしい苦楽を経験して日常を楽しめるようにもなれた^ ^
最後に、、
オレには都会好きで関東近郊に住み続ける母親がいる。昨年貰い事故で怪我を負い大手術をした。年齢的にもか細い身体的にももう歩けないかもしれない.. でも持ち前の根性でリハビリを頑張り回復した^ ^コロナで退院まで会えなかったけど、、オヤジは渦中に天国へ逝った。
その母親が、ある子育て支援団体に以前からお世話になっている。お子さんの支援が出来るのかは⁇なすっ飛んだ母親だか、笑笑。でも本人の生きがいでもあるので^ ^人のこと言えないけど、、
その団体コンセプトメッセージがとっても良くて、東京社長時代に1人葛藤していた事への労い的な言葉が沢山詰まっている。
こんな想いや育みが人々を照らし、クリエィティブな将来を築いていく社会になって欲しい。
小職は九州からその発信を続けて行きます‼︎
↓お助けネット・こんぺいとう↓より
千葉県浦安市
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こんぺいとうは、
"あなたらしい子育て"を応援します^ ^
いろんな色があるように、
同じでなくってもいいのよ!
いろんな形があるように、
皆の個性をのばしましょう!
いろんなデコボコがあるように、
いろんな生き方を!
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久々オッちゃんの心にグッと刺さりました🔥
頑張るど⤴︎持続可能なコミュニティ創り
#育み #子育て #遊び学び働く楽しみ広報活動
#まちづくり参考媒体開発 #個性 #人間力 #地産業後継価値啓発 #言葉のチカラ #老若男女の拠り所